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授業力アップ 学級経営

小学校教員の授業力アップや学級経営について紹介します

命の授業4私のたからもの

 

命の授業4 私のたからもの

 

 

どの学年の担任になってもする命の授業です。

 

 

私自身の経験を子どもたちに伝えます。

 

 

「先生の宝物は、二人の子どもです。お姉ちゃんと弟がいます」

 

と話を始めます。

 

 

娘が生まれた時の話、毎日絵本を読んだり、おうまさんごっこをしたりした事を話します。

 

 

子どもたちはニコニコしながら聴いてくれます。

 

 

娘が2歳の時、妻のおなかに新しい命を授かりました。

 

 

「もうすぐお姉ちゃんになるからね」

 

 

幼いなりに娘も喜んでいました。産婦人科の検診には、おなかの大きい妻と娘を私が車で連れて行っていました。

 

 

出産予定日まであと2ヶ月、いつものように病院に行きました。寒い寒い2月の夜です。

 

 

妻はお腹が張っている状態が続いていましたが、娘が安産だった事もあり、大丈夫だと思い、いつものように娘を抱っこして、診察室に入りました。

 

 

「赤ちゃん大きくなったかなぁ」と言いながら、超音波画像をのぞきこみました。

 

 

その時、院長先生がため息をつきながら

 

「おなかの赤ちゃんは、亡くなっていますね。これが心臓がですが、動いてないの分かりますか?」

 

と言いました。

 

 

その瞬間、体が凍りつきました。妻は顔を覆って泣き崩れました。

 

 

「原因はまだ分かりません。亡くなってからおそらく一週間、とにかく早く出してあげないと奥さんの体が危なくなります」

 

 

という先生の言葉が虚ろに聞こえていました。すぐに入院する事になりました。

 

 

ぐずり出した娘を抱いて外に出ると、真冬の空は星がいっぱい出ています。

 

 

まだ何も分からない娘が、

「赤ちゃんどこ行ったの?」

と聞いてきます。

 

 

それまで我慢していたものがとめどなく溢れてきました。

 

 

「赤ちゃんは、死んじゃったんだよ。遠い遠い所に行っちゃったんだ。空に行って星になったんやで」

 

としか言えませんでした。

 

 

娘は星空を見上げて、

 

「どこ?どこにもいないよ」

 

と言います。小さな娘をぎゅっと抱きしめていました。

 

 

その日は、病室がいっぱいで分娩室の片隅のカーテンで仕切られた場所で夜を過ごしました。

 

 

分娩室では何度もお産があり、元気な産声が聞こえてきました。

 

 

簡易ベッドでずっと泣いている妻の背中をさすりながら、

 

(何でもっと早く病院に連れて行ってあげなかったんだろう)

 

と自分を責め、悔やみきれない気持ちで一晩を過ごしました。

 

 

拳から血が出るぐらい壁を殴りました。一晩で、おそらく一生分の涙を流したと思います。

 

 

翌朝、陣痛促進剤を何度も使いました。もう大きくなっているので、お産をして出さなければなりませんでした。

 

 

すでに赤ちゃんは亡くなっているのに、妻は、陣痛の苦しみと分娩の痛みも乗り越えなければならないというのは、あまりにもつらいものでした。

 

 

生まれてくる事が出来なかった我が子の為にせめて、最期までついていてやりたいと思いました。

 

 

強くなってくる陣痛に耐えている妻の背中を何時間もさすり続けました。

 

 

そして、その夜になって、やっと分娩が終わりました。

 

 

分娩室に呼ばれて、我が子に対面しました。男の子でした。小さな小さな手をしていました。

 

 

亡くなってから一週間たっていましたが、抱き上げたら産声を上げてもいいぐらい、他の新生児と何一つ変わらぬ姿でした。

 

 

先生から説明を受けました。

 

「へその緒の付け根が爪楊枝ぐらい細かったんです。こんなに細いと、本当なら5ヶ月ぐらいしか生きる事が出来ないのに、この子はこれまで頑張って生きたんですよ」

 

 

どんなに身体が弱くてもどんな障害があっても、生きて産まれてきてほしかった。

 

 

看護師さんから言われた小さな柩を用意しました。おもちゃを入れてあげてくださいと言われたので、買いにも行きました。

 

 

宇宙ロケットとウルトラマンゾフィの人形を入れました。

 

 

この子には「一星(いっせい)」と名前をつけました。

 

 

入院している妻を残し、斎場で別れを告げました。役場にも手続きに行かねばなりませんでした。

 

 

この子の分まで生きていこうと妻と話をしました。

 

 

当時、1年生の担任でした。学校に出勤してから子どもたちにその話をしました。

 

 

話をしている間、我慢しても涙はとまりませんでした。でも、1年生の子どもたちでも命の大切さを分かってくれました。私といっしょに泣いてくれていました。

 

 

学級通信にも、この事を書き上げて伝えました。

この子が存在した証を残したいと思ったのかもしれません。

 

 

しばらくは、救急車のサイレンの音を聞くだけで心拍数が上がり、その時のことを思い、つらい日が続きました。

 

 

2年後、神様がもう一度子どもを授けてくれました。

 

元気な息子が産まれました。

 

「お前は、お兄ちゃんの分まで生きてくれ、2倍の命なんだから」

 

帰ってきたウルトラマンやなぁ」

と抱き上げて心の中で語りかけていました。

 

 

21年が経ち、娘も息子ももう大きくなり、一人暮らしをしています。

 

 

 

⭐️こんな話をクラスの子どもたちに伝えています。

 

どんな学年でも私の心からの話を受けとめて聴いてくれています。

 

 

子どもたちに命の尊さを伝えていくことが、私の仕事の中で一番大切にしている事です。

 

 

これが私の「命の授業」です。

 

 

 

大切な家族を亡くされ、私よりもっとつらい思いをされている方もたくさんおられると思います。

 

 

どうかその亡くなった方の分まで生きてください。

 

 

心からそう願います。